両性を体験してみたら人間や性(生)の本質がわかるの
ではないかと思い立ったmoya。「男性」という幸せに
改めて気づき、「女性」という楽しさと生き難さに気づ
く。年齢の割に波乱に富んだ人生を体験した著者だから
こそ、まだまだ有象無象相対事象を感じたいという。そ
してわかる生きることの本質。「愛」の絶対価値。
流行りの女装ではない「人間とは?命とは?『生きる・
存在・在りかた』を考える」哲学の書。
両性識有/望月泰宏(Amazon
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裏金議員など、必要と欲望の区別がついていないお子さ
まだと自ら証明していること。
責任とか罪とか以前に、いい歳をした大人でしょうに…
足るを知らぬ餓鬼ぶりがバレて恥ずかしいと思わないの
かね。
闇バイトやブラック企業があること。
それが日本人の民度も低下している表れのような気もし
ます。
あらゆる欲望が虚像・虚構ではないのか。
物欲や名誉欲はもとより、性欲さえも虚像・虚構。
欲望を疑問に思わないのが普通。
そんな得体の知れない欲望で愛を語って、挙句には受精・
生命のやり取りを喜んだりもする。
踊らされているお人形さんの幸せっていったい…。
「知らない幸せよりも知る不幸を選びたい」って物言い
があるけれど、そこに選択肢がある・自由意志がある・
選べる幸せもそこにはあります。
足るを知らずに欲望の糸で操られ踊らされるがままの私
たち。
足るを知ることがないようにあらゆる方法で欲望をくす
ぐり続ける資本主義世界。
足るを知らない幸せ者ぶりは皆一緒。
足るを知り本当の意味で成長してしまうことがないよう
に躾けて仕向けておくのも現代社会の枷なのだとか。
必要と欲望を混同する人ばかり…というよりそれが普通
か。
人が持つ欲望って時代・社会にも引きずられる。それも
また虚像であることを自ずと証明しているのでは。
私たちが本当に必要とするものは思うより少ない。
そうして理解を深めることよりも必要という幻影に踊ら
されているほうが醍醐味あるのはどうしたわけだ。
民主資本主義と共産主義という社会制度でおよそ二分さ
れています。
欲望の糸に繋がったお人形さん、より上手く操作できる
のはどちらか?…って競い合っているかと思うとばかば
かしくも思える。
恐怖による規律よりも欲望による能動的な規律のほうが
好ましく大きな成果も期待できることは想像に難くない
と思うのですが。
支配者層云々云われるけれど、欲望の糸で操られるお人
形さんであることは皆同じ。
欲望の糸で操られたお人形さんなのは皆一緒。
欲望に溺れる人々。それが普通。そんなもの敬意なんて
持ち得ないじゃないか。
仕事を覚えるまではそこまで思い詰めることもないのだ
けれど、一通り覚えてルーティン化できるようになると
程なく欲深さが目につき気になり始める。マンネリ・保
身・日和見を感じ、転職を繰り返した私。
厚意をもってそんな漠然とした思いを抱えた人=私を迎
え入れてくれたたくさんの企業、それを反故にしてきた
私。
特に四大卒も中卒も変わらないと理解する機会を頂けた
株式会社FのI社長、そして株式会社SのS社長には感
謝してもしきれるものではありません。
そういう意味では今の職場も同列、社会も 同列。
それこそ青い鳥を探すようなものでしたね。
大人も子どもも変わりない。
人種や地域・国家や宗教が違っても変わりない。
女性も男性も変わりない。
人の魅力はその年齢によって大きく左右されます。
それも欲望の糸で操られたお人形さんであることの証左
に他ならないのではないかと。
成長というのも手前味噌でしょうと、それは変化に過ぎ
ない。何の変化かと言えば欲望の変化。
果たしてそれは能動的なのか受動的なのか。
成長と呼んでいる時系列な変化。それは変化に過ぎず、
成長でもなんでもない。
欲望を源泉に感情を享受する個体機能は何も変わらない。
時系列な変化は身体的なものがクローズアップされがち
だけど、その実欲望が変化することでそこに享受する感
情も変化する、その意味のほうが大きい。
欲望の糸で操る人形劇はいつも序章でいつも佳境。
訳も分からず(基本的に)異性を求める私たち。
遺伝子に踊らされ操られるがままのその欲望を、そのま
ま異性に・人に向けるなど失礼極まりないのではないか。
だからこそ人は永遠の愛を誓っても、程なく違う愛を見
つけたりして、欲望の糸に翻弄され続ける。
私も年頃から女性に魅力を感じるのですが、それは一体
何を求めているのか…女装・女性化して得た結論。それ
はやはり虚像に過ぎないと確認することになりました。
「女性も男性も変わりない、大人も子どもも変わりない、
人種や地域や言語が違っても変わりない…」って感じた
こと。
男性の俗物的な側面に残念を感じて、男性が(基本的に)
魅力を感じる女性はよほど達観しているのかと思いきや、
女性は俗物というより動物的な側面なのだと理解。方向
性の違いだけで、結局同じレベル。
確信めいて感じたのだけれど、その共通項がなんなのか
わからなかった。
それが最近になってようやく
「欲望の糸に繋がれた、感情を享受する操り人形である
ことは変わりない」
って理解することができました。
年齢によって左右される…年頃の魅力・欲望など、それ
こそ虚像に過ぎない。
それを自ずと証明しているかのようです。
私たちは欲望・願い・希望を源泉に感情を享受する。
叶えば喜び、そぐわなければ時に怒り時に悲しみ。
子どもの頃に気がついたそれ。ようやく今その先に一歩
進めた気がする。…まぁ進むも後退もないのだけれど。
アンガーマネジメントとか云われる背景には欲望の糸で
操られるお人形さんの自覚のないことが汲み取れます。
日夜クラクションが聞こえない日はないくらい、怒り…
感情を豊かに享受する私たち。…クラクションを手軽な
クレームボタンと思っている人多そうですね。
求め続ける私たちだけれど、本当に必要なものは思うよ
り少ない。
自覚のなさが微笑ましいやら切ないやら。
答えをわかっていて、そのプロセスを楽しむ。
あらゆるプロセスを楽しむことができる今この機会。
今ここに在ることがすごい贅沢な時のような…とてもあ
りがたく、とてもうれしいのです◎
本当に必要なものは思うより少ない…って足るを知る成
長を果たしてしまわないように、必要という幻想へ夢中
にさせる。
なにも支配者自らもてなすことはない。人間どうしで欲
望の糸をうまく操ってご褒美をもらおうと、人は自ら佳
き人形足ろうとする。
成長し足るを知り悟ることは人生・今この機会の否定に
もなりかねない。
欲望の糸で操る人形劇と民主主義・資本主義という社会
制度、その相性は良いように感じます。
自己増殖機能としての欲望も併せ持っている。
素晴らしい今この機会。
感謝します、ありがとうございます。