両性を体験してみたら人間や性(生)の本質がわかるの
ではないかと思い立ったmoya。「男性」という幸せに
改めて気づき、「女性」という楽しさと生き難さに気づ
く。年齢の割に波乱に富んだ人生を体験した著者だから
こそ、まだまだ有象無象相対事象を感じたいという。そ
してわかる生きることの本質。「愛」の絶対価値。
流行りの女装ではない「人間とは?命とは?『生きる・
存在・在りかた』を考える」哲学の書。
両性識有/望月泰宏(Amazon
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今それを受け入れることができるのなら、浅慮に判断せ
ず、ご縁を信じ受け入れるべき。
…なんて、そんな思いもありました。
ですが、そればかりでもないようです。
今ここに生きて生活している、その中でとてもたくさん
いただくご縁。
(人が生きていく中で本当に必要なものは驚くほど少な
い!…と言うことに気が付いているのは私だけ?そんな
はずがない!)
およそ必要としていないはずのその人が私に求めてくる
それ。
私への新しい可能性の扉がそこに開かれているのかもし
れません!☆
しかしそれは目の前の満足や短期利益に…それも自身の
満足や利益に!…目がくらんだ、「強かな人間の欲望」
に過ぎない物が多く。
それどころか、およそ深慮遠謀などではない(しかも公
私を問わない!)単なる営業活動なことも多々。
総じて思うことは
「未熟なものほど求めることが多い・
未熟な人ほど求めるものが多い」
…と言ってしまえるのではないかと。
幼児や幼生…などなど、およそあらゆるものはその成長
過程で多くのものを必要とし、また求めます。
そしてその成長に従って求めるものは少なくなるもの。
いわゆる社会人の頃、およそ必要は少なく!
多くの余裕をそこで持てたり…そこで次世代の育成・
成長を促したり、様々な欲望による衝動でさらに多種
多様な感情を得ることができたり!☆♪…しますが。
するはずなのですが。
いつしか欲望と必要が混同され、いつまでもどこまで
も余裕が持てなかったりします。
…現代に生きる人間はその後…いわゆる高齢者など…ま
た多くのものを必要とし求める時期があったりします。
自然に生きる動物の中には、老衰のころ…引き際を知る
ように…単身で群れを去り、独り静かに朽ちていくもの
もあると聞きます。
その意味でも人間のそれはどこか自然でなかったりする
のかもしれません。
感謝します、ありがとうございます。