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2015年07月02日

時間と理解と享受と両性識有

日の出・日の入を基準に、それぞれ12分割したことから始まり。
人がつくりだした道具、変化単位としての時間。

時間は「絶対」「真理」のような物言いもあるけれど、
光速では物事の変化が、時間が止まるとも云われていますし。

心拍の早い動物は比較的寿命が短く心拍の遅い動物は比較的寿命が長いことや、
ナマケモノのように動きの遅い動物とスズメのように動きの速い動物、
そこに流れている時間は異なるのではないかと思い至ります。


そう…そもそも時間とは変化の単位。


時間の流れがあるわけではない、
時が進むから物事が変化するのではない。

人間が自然の流れ・運行を理解しやすいように
物事の変化を人間が認識しやすいように
作り出された基準・概念に過ぎない。


物事の理解に相対基準を使うのは人間の知恵か?
それとも神の恩寵か?
…さておき。


人間が理解の道具に使っている時間、それすら心許ないもの。

人がわかることなんて知れたもの。
「今私を認識している存在が今ここに在る」
せいぜいその程度しかわかりません。

その今こことは?
…概念・通念としてなら理解はしているつもりですが、
今ここすら私たちはわかっていません。
今のここってつまりどこですか?


性という差を設けて、そこから何かを理解しようとしたのかもしれませんが。
その設けた手段が目的になってしまっている気配を感じます。

欲望の中、喜怒哀楽を満喫しつつ生きることを最大限享受する…
そのためにはそうして手段に溺れているくらいが丁度いいのかもしれません。


moyaの日記「時間」
http://moya.seesaa.net/article/94769728.html?1435784530

両性識有131ページ
時間と云われるものは認識される変化に対し人間側が一方的に単位を付けたものに過ぎませんし、相対性理論や“ゾウの時間ネズミの時間”を持ちだすまでもなく一元評価・絶対視できるはずもありません。



感謝します、ありがとうございます。
posted by moya at 19:42| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 両性識有 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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