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2015年05月24日

私・今・そして神〜開闢の哲学〜/永井均:講談社現代新書と両性識有

言葉で理解しようとする以上、
私たちの認識を乞える存在になるであろう神は
存在することができない。

今ここにそうして考える私がいて、
今ここでそうして考えていることが既に神の否定であり、
今ここでそうして考えていることが既に神の存在証明でもある。

そんな私たちを超えた存在が神。
矛盾していますね。www




今現在、この瞬間の確信。
それしかわかり得ない立場は、
著者の永井氏も私moyaもゲーテもパスカルもフロイトも…変わらないようですね。wwwww


あなたはあなたであり、私でないのはなぜなのか。

認識した違い・差異、なぜそれを違うものと認識したのか。



我思うゆえに我あり

「私」その定義の問題であるところも大きいですが、
私に限界・臨界・境界を持つその問題意識が既に狭く、
私という道具・言語という道具すら持て余して
悪戦苦闘している様子が感じられて微笑ましいですね。


微笑ましく見守る神の視線を感じるようです。^^



両性識有131ページ
「もっとも時間と云われるものは認識される変化に対し人間側が一方的に単位を付けたものに過ぎませんし…」

同141ページ
「さらに愛というのはひとつの言語表現に過ぎません。LOVEよりは広いようだけれど、愛と言葉で表現したとたんに愛の枠にはめられてしまいます。
今その思いを人に伝えようとする時、伝えないまでもそれを考えようとする時、その手段は言語しかないことが切なく、また面白く。

 そう考えるなら、やっぱり今のここはひとつの仮想現実で。今ここで愛と表現されるものを理解し実践し満喫するための機会で」

同152ページ
「こどもが必死に自説を振りかざしている姿はほほえましいけれど、その子が思っているほどそこにさしたる意味はない。その経験から人を社会を情緒を感じとり、経験を重ねていくことでその子の未来が幸せであることを祈る。それが親心というものなのでしょう」



感謝します、ありがとうございます。
ラベル: 両性識有
posted by moya at 18:59| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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