人が人に魅力を感じるとき、人としての理想を重ねてしまうんでしょうね。
自分の至らないところを顕在意識下でわかっているから?…そういうところを持った異性は特別魅力的に映る。
魅力的な人が多すぎなんて思ってるmoyaみたいな人は至らないところが多くって。
モテモテな人はいろんな人の求めるものの最大公約数みたいなところをもっているとか。
強さ速さ財力…何かしら強い力を持っていることを証明しようと競う男。
美しさかわいらしさ…愛される価値を持っていることを証明しようと競う女。
なんだ、一緒じゃん。
moyaは、女性のルックスやたたずまいはもちろんその器量に惹かれます。
女性どうし気負いのない交流も図れるようになりました。
だけどその器量は演出された一面であったと感じることが多いです、その下には深慮遠謀には程遠い、平版な面があったりします。
そのていどの平版な二面を使い分けて気取りあう…そんな関係の中にいたなら、男性の不器用が魅力的に映ってくるのがわかる気がします。
競うからこそ成長できるのですけど、男で競うことにめんどくさくなって女ならそんな子供じみた競争もなさそうと思って女性を自分に投影してみたけれど、最近は女でも同じようにめんどくささを感じています。
男でも女でもめんどくさい?…救われないですね…。
感謝します、ありがとうございます。
2014年06月02日
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