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2012年06月19日

死を慮(おもんばか)る

死に直面した人、例えばガンになった人とか。
直面していなくても、死に至る不治の病に侵されてしまった人とか。
それなりの言葉をかけはしますが、なにか上滑りを感じてしまいます。


不治の病に侵されてしまった人もそうでない人も、いつか死ぬことに変わりはないんだよ?
今この瞬間は生きている、次の瞬間にはわからない。
それが前提だと思っているから、死には常に直面していると思っているから。
「不治の病?みんな不治の病でしょ?それがなにか?」


一般的には、死に直面したことは最高の悲劇の一つであると理解はできます。
理解できるから、話しをそれに合わせはしますが。
何か勘違いしてない?何か忘れてない?…そんな意識も横にあったりします。




人が死ぬって、自身が生涯に納得したことの証だと思っているから…。
納得していないのに肉体が終わってしまったようなときに人は彷徨い出たりするのかな?
納得しているのに肉体が終わらないようなときに人はボケてみたりするのかな?
なんて思ってみたり。




同情?憐み?…それはそもそもおこがましいこと?

死すべき時が来れば喜んで死に臨みたいと思っているmoyaがいくら我が身の事として考えても、慮ったことにはなっていないような…;
それは周囲に感じる温度差の一つ。

慮るって…どこまでも難しいですね。
^^;


感謝します、ありがとうございます。




ラベル:温度差 慮り
posted by moya at 19:42| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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