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2011年02月27日

父の…1

病院の集中治療室へ運び込まれた父。
その後の経過は一進一退を繰り返し、予断を許さない状態が続いていました。
病院から生活拠点が一番近く、気持ちの上でも父といちばん近かったであろう姉、ほぼ毎日病院へ行ってくれていたようです。

そんな姉からの経過報告、「人工心臓が外されて、CCU(集中治療室)の向かいにある一般病棟へ移ったよ」。



13日日曜日の午前中に兄と待ち合わせて、兄は2回目?私は3回目?になる病院へ、バスで向かってお見舞いに行こうという段取り。
待ち合わせ場所に行ってみたら、数年ぶりになる姉の姿もありました。
とりあえず乾杯でも…って、駅ビル上階にある和食のお店に入って、再開を祝しビールで乾杯♪
お昼ご飯を頂いた後も、積もる話しは途切れません。
「また今度…温泉でも行って、みんなでゆっくりしたいね〜。」
???姉と姉の間には多少の確執がありそうな気がするんだけど…???
そんな諸々もみんな忘れてってことなのでしょうか。
とりあえず、今のココはのんびりほがらかな空気。

いいですね。^^v
今際の人が控えていようとも。^^;

姉も病院へ行くの?…って思いましたが、姉はここで帰る様子。
そうですね、私たちの父と姉に直接のご縁はありませんからね〜。



兄と二人、静岡駅から長距離バスへ乗車。
1時間弱のバス旅、兄は一眠り、私は読書。
その間に牧之原警察署入口到着、そこから徒歩十数分、榛原総合病院到着。

気道確保・人工呼吸器、複数の点滴、電気パルスを拾う心電図のコード。
人工心臓が外されたとはいえ、まだ物々しい雰囲気に包まれています。
胸郭は力強く上下していますが、それは人工呼吸器の力なのでしょう。

一般病棟に移されたことは、医師の所見がどちらであることを意味するのか…。
心電図モニターの波形の波は先日よりも弱く小さくなっているような気もしますが、人工心臓を外されたのならあり得ることなのでしょう。
意識が戻っていない状態では、やはり悲観的でしょうか。

父の横に立って、私は心の中で聞きました「どうしたいのですか?心残りがないのなら、私は感謝しつつ喜んで送ります。心残りがあるのなら、眠っている暇はないはずです。」
私が数週間に及ぶ意識不明から帰ってきているのを目の当たりにしていることもあって、姉としては希望を捨てきれないようです。


父の兄弟親族も大勢来てくれています。
心電図モニターの波形が少し大きく強くなってきたような気もしますが…、弱弱しいことに違いはありません。
入れ替わり立ち代わり、父に呼びかけますが何の反応もありません。


今回のことで新しく兄弟として認識された姉、兄と今後のことで話し合い。
葬儀・菩提寺・その後の生活環境、費用・連絡の必要な縁故知人・遺産財産…。
それぞれ本業が経営者と管理職ということもあってのことか、その会話は段取りが良くて、見ていて気持ちが良いです。^^


時刻は夕刻、病室に戻り兄弟親族の後ろから見守っていると、「呼びかけてあげて」って小母(オバ)が声をかけてくれました。
前に出てベッドサイドに立って手に手を合わせて、「父さん!」と呼びかけてみますが、どうにも気持ちが入りません。^^;

姉は「東京で仕事が決まったんだよ!なんで報告しようとした日に…。いつも反対していた父さんでも、今度こそ笑って送り出してよ!」。
兄も「父さん!」…迫真です。^^;
こんな時、本人は病室の片隅から家族を見下ろしていたりするのでしょう。
あちこちから視線を感じるような気もしますが、よくわかりません。
きょろきょろしてみますが、私の眼には白い壁がきれいに見えています。ww


本来なら、姉はこの翌日から東京での仕事が始まる手筈。
でも今回こういうことになって、勤務先への連絡と予約チケットのキャンセル手続が煩雑な様子。
姉の彼氏、その協力を得て何とかやっているようですが…。
諸々あってパニック状態に陥る寸前なのを、彼氏さんの存在のおかげで平静を保たれている。病院駐車場でマイカーに乗ってきて控えてくれている彼氏さん、それが姉のアンカーになっているのでしょうね。

そうして姉が席を外している間に、いよいよ心電図の波形が弱くなってきました。
心の中で「最期かな?どうもありがとう…南無…南無…」なんて思っていたら。

私から見て従兄弟?さんが「姉はどうした?呼んできて!」。
私「あ、はい!」


行こうとしたときに兄が「携帯持った?」
こんな時に携帯?なんて一瞬思いましたが、探しに行ってすぐに見つかるとは限らず、携帯で呼びかけたほうが確実ですね。
翻って携帯を持って、そうして早足で歩き始めた背中で聞きました、「ピー」って単調な機械音と親族兄弟の叫び声。
…心の中で「あー、看取ることはできない御縁だったんですね。それもまた由でしょう、ありがとうございました、では…。」
私はクライマックスを感じながら、その場を後にします。



姉を探しますが、ロビーにも待合にも時間外出入り口にも姿は見えず。
外に出たところで携帯の電源を入れて、姉へコール、ほどなく繋がり「たぶん最後だよ」。
彼氏さんの車に乗っていたのでしょう、ほどなく姿を見せた姉と一緒に小走りで病室へ戻ります。

戻ってみれば…気道挿管も電極も点滴もすべて外され、静かに眠るだけの父がいました。
気道挿管固定のテープでカブレたのでしょうか、頬の一部が不自然に赤いことが痛々しいです。



姉は「父さん!」と、泣いて父の遺体へ縋ります。
…茶々を入れるほど野暮じゃありませんが…
姉が以前の旦那や、彼氏に庇護を求めて、ココを留守にしているとき。
それをフォローしようとした私は貴重な機会を失ってしまう。
似たようなことは過去にもありました、…またか…って思わずにはいられません。
これもある種の腐れ縁ってものなのでしょうか。^^;


2011年2月13日18:35 父 永眠


看護師さんが死化粧を施してくれました。
顔色は暗くなりつつありましたが、ファンデーションとチークのおかげで眠っているようです。
そこで使ったリキッドファンデーションが私が持っているのと同じもの!
思わぬところで父とオソロです。^^;


…ここまで振り返って、疑問が一つ湧きました。
病院の外に出て姉に電話したのが…通話履歴から…19:00、病院の死亡診断が18:35。
私が「ピー」って機械音を聞きながら病室を後にして、外に出て携帯から電話するまで25分もかかるはずがない。
まぁ…18:35っていうのは便宜上で、心停止は18:50分くらいで、意識の停止は数日前で、脳機能の停止は…。
死亡診断の時刻というのは、医師の腹時計みたいなもの…と言っちゃうのは極論でしょうが。
とすると?
誕生時刻というのも結構いい加減なものだったりするのでしょうか???




生きるものの都合は終わりません。

兄が中心になってくれたおかげで、必要な連絡先から葬儀手筈に至るまで、ガイドラインを兄が・必要な手続きや連絡を姉や姉が進めてくれて。
私は追随していればOK、なんて幸せ者なんでしょう。^^;


季節柄なんでしょうか…斎場がイッパイな様子、今予約しても一週間後なんだって。
日曜日のに亡くなったので、週半ばの御通夜〜葬儀かな…なんて思ったんだけど、世間はそれどころじゃないらしい。
一週間…遺体を安置しておかなくてはならない。冬場で良かったよね、ドライアイスを抱かせるにしても、夏場で一週間はきつかったでしょう。


内々の家族葬にして、父が活動していた団体や会社関係の献花などはすべてお断りしよう、それでも…と言ってくださる弔問だけお受けしよう。
方針決定。
必要な手筈・段取り…だいたい確認し終えて、兄とmoyaは一旦日常に戻って、姉と姉が色々奔走してくれました。


moyaも職場で上司に
「父が亡くなりました、弔問はもちろん…献花などもお断りして、内々の家族葬を執り行う予定です。お心遣い無いようお願いいたします。」なんて伝えましたが…。



翌土曜日、父の葬儀。


会場に入ってみれば、兄の会社の社長名・副社長名・組合長名、姉の会社の社長名、それぞれ献花が一基づつ。
あれぇ〜?moyaだけ親不孝?^^;



先ずは御通夜。
メイクの甲斐あって、父の見た目は変わりありません。
でも…髪の生え際やメイクしていない部分、浅黒くなってきているようです。


通夜〜告別式=土日と時間を空けて、喪服を着て臨みましたが。
簡易民宿のような葬儀会社の施設に泊まれることは知りませんでした!
御通夜の式を終えて、長い夜に向けてアルコールや夜食・翌日の朝食を買出しに行こう…という時に率先して同行。
着替えなど、慌てて買い揃えてきました。


コンビニじゃ割高だけど、割高でもある程度揃えることができるコンビニ。こんな時は有難いですね。^^;
御通夜って、お線香を絶やさないってことが仕事なのだけど、今どきは渦巻き状になって何時間も絶えることがないお線香があるんですね。
重宝なものです。
…姉は眠れずに明け方まで父の近くにいたそうですが…。



葬儀当日
前日に買い込んだもので、父を脇目に皆で朝食。
食欲がない・のどを通らないという人もなく、皆それなりに。





ラベル: 今際 通夜
posted by moya at 20:32| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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