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2008年11月12日

マンガ「キリン」のなかに「バイク乗りは風邪を引くように事故や違反を繰り返す」そんなセリフがあったけど、そんなこんなの交通ルールもこの世界での決まりごとなんだから各個人の肯定・否定につながるはずはないんだけどね。

交通違反で検挙されたり交通事故にあったときって…今の自分の在り方がどこか間違っているんじゃないか…って自分を否定された気分がするよ。

…メゲルよねぇ…。
ーー;




先日受けた自動車運転中の携帯電話摘発、なにかフォローしてくれようとしているおまわりさんに手のひらを向けて遮って
「違反は違反、どうのこうの言うつもりはありません」と受け入れた私。

パル判事関係の本を読んでいて「裁判を認めないが判決は受け入れる」というフレーズに目がとまった、そうそう私が言いたかったのはこれだよ!

法治社会に在るものとして判決が下されたものは受け入れないと社会が成立しなくなる、だけどその裁判に合意しているかどうかは別の話し。






大阪の轢き逃げと福知山線の電車転覆脱線事故


ふと気がついた、両運転手の行動の発端になる感情って似ているんじゃないのかな。
そのどちらもが罪という意識から逃れようとして行動してるってこと。


「人身事故が発覚すれば執行猶予中のものへ加えて罪として追求される」

「電車がダイヤから一分でも遅れたら罪として追求される」






人が自らを律していくために作られた法・法治社会と言う制度とそれに付随する罪という概念、それは人間が便宜上作り出した概念に過ぎない…筈だったのに、人格・存在を否定する勢いで詰め寄ってくる。


ルールはルール、それを遵守しないと法治社会が成立しないのが前提にあるのはもちろんだけど、対認識の罪が一部で過負荷になり招いた惨事…ってどうなんだろう。



罪…とそれを具現化した罰って社会制度として非常に幼い印象を与えるよね。






罪っていうものが人の作り出した幻想に過ぎないのだったらキリスト教や諸宗教に出てくる「原罪・カルマ」と言う概念もやっぱり幻想に過ぎないんじゃない?


果たして何を想ってのことなのか…。







罪の文化に対して、日本は恥の文化…ってなにかで聞いた記憶があるよ。


つまり内省的ってことだよね、

(絶対的な)価値観を外に求めるか内に求めるか。







いえ、二元論にしてしまうことはない。

「三位一体」というくらいだから三次元が…あ、

そうか、三次元が構成単位の下限なのかもしれないね。






さておき、

死刑に対しての議論も百出しているけれどそれ以前の問題としてさ、

罪にしても恥にしても…そういった認識が必要な社会制度って…どうなんだろうねぇ…。
posted by moya at 20:58| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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