
今を否定することはない?
…それはそうでしょう。
否定材料を探してアラ探しするのもいやらしいし、どのようなことであれ「いいね!」と認めたいと思うのだけれど。
かといって肯定ばかりしていては、「何が食べたい?」と聞かれたときに「なんでもいいよ」と答えているような感覚を覚えます。それって思考放棄な気もします。
「なんでもいいよ」と答えている人というのは、食べたいものはあるのだけれどそれを文章にするのが面倒でそう答えていたりだとか。…それなんかはわかりやすい思考放棄だけれど。
「いいね〜♪」と言うにしても、「なにが良かった?」なんて質問に答えられる筋道を考えてからでないと「いいね〜♪」と言いだせなかったりします。
会話のキャッチボールのリズム・テンポがmoyaは少し違う…たまに言われます。
(⌒⌒;
まして否定も肯定も自分勝手な評価に過ぎないことを思うと、それをそれとして否定も肯定もすることなく認識し受け入れるだけなのかと思ったり。
だとするなら喜びも悲しみも…感情とはそもそも蛇足なのかな。
そんなはずがない!
受け入れるだけでよいのであれば、ビデオカメラやクマさんのぬいぐるみの方がよほどすぐれた観察者だよね。
だからつまり、それを観て聴いて感じたことで何らかの情動が自分の中に産まれてくることが大事なのかな。
大事なことだけれど、そこに囚われ引きずられては本末転倒。
バランス感覚が難しいですね。
(⌒⌒A
感謝します、ありがとうございます。