部屋を片付け…身支度を整え…、そろそろ頃合いなのでしょう、葬儀会社担当の方が「おはようございます」と入ってきました。
私は「葬儀〜出棺」だと思っていたのですが、今日は「出棺〜葬儀」なんだそう。
まぁ…こういうもので「普通」というのも私は知りませんが。^^;
一夜を過ごしたお部屋から、父の遺体が祭壇のある部屋へ運ばれます。
出棺の読経が始まります。
最後のお別れを…と、切花を一輪一輪、顔の近くに手向けます。
蓋が置かれます。
釘打ちの手順は省略。
経て、出棺。
会場から斎場までは歩いても五分程度の近さですが、いったん霊柩車へ運びます。
私はバスへ乗り、一部の人は歩いて斎場入り。
簡易祭壇前で荼毘に付される前の読経。
蓋に設けられた扉着きの小窓、そこに父の安らかな顔がありました。
そこで今回初めて、私は込み上げる感情を強く感じました。
それが何よりの弔いになっていることを祈るばかりです。
一人ひとり、最期のお別れを済ませ、いよいよです。
「ご遺族はここまでです」と、3mほど手前の床に引かれた線が示されます。
棺が頭のほうから中に運び込まれました、見えるのは足のほうの80p四方くらいの四角形。
あの中に…。
もう見ることのない父、面影を思うと…
先ほどの込み上げる感情とは違う、無常のようなものを強く感じました。
焼きあがるのを待つ時間、待合で助六寿司をつまみます。
兄は甲斐甲斐しくお茶をついで回ります。
頃合いを見て、今度は私もお茶をついで回ります。
今更ですが…私はホスト側なんですね。^^;
焼き上がったお骨を拾い上げます。
耳にした会話…「骨がしっかりしている…最後まで動き回っている人だったからねぇ…。」
他所で聞いた話では拾い上げる骨が残らない方もいらっしゃるそう、そういう意味では拾い上げるのに事欠かない父は健やかで在ったのでしょうか。
骨壺を抱えて、葬儀場に戻ります。
祭壇の上のほうに骨壺を収め、御坊様五人の読経が始まります。
太鼓やシンバルのような楽器も使って、なかなか賑やかです。
お焼香が始まります、親族である私は比較的早い順番で焼香を済ませますが…。
後を見ていると、お焼香の作法も人それぞれですね。
私などは…先ず合掌して、左手は合掌の姿勢のまま、右手でお焼香。指で額の高さまでつまみあげ、目を閉じ念を込めてから、焼香炉に振り掛ける。それを三回。合掌・一礼して完了。
なのですが。
おもむろにつまみあげて、そのまま焼香炉に投入。一回だけ。合掌して完了。
なんて方もいらっしゃいます、面白いものですね。
市長名の弔電も読み上げられていました。
はー、あちこちに顔を知られていたんですね〜。
喪主挨拶
喪主は現在の奥さんであるMさんが勤めましたが、挨拶は父の長子である兄が勤めました。
兄が子供時分に父と遊んだ思い出、その後の父の社会的活躍ぶりを辿り、誠実な人柄であったことを振り返ります。
誠実な人柄であったことは皆が異口同音に語っています。
後から兄が「夢中で何を話したか覚えてないよ」なんてこぼしていましたが、「大丈夫、皆の吟線に触れるいい挨拶でした」と答え、「moyaにそう言ってもらえると救われるよ」って。
父さん、兄弟は健やかに在るようです。ww
葬儀が終わり、払いの席へ移動します。
先ず兄が、続いて姉が、続いて姉が姿を消しました。
なんで?…式次は払いの席でいいはずだし、特に声はかかってないし目配せもなかったからおとなしく待ってましょうか。
…
なんて思いつつの数分後、入り口に兄・姉・姉登場。
え?え?なんて思っている間に兄が「本日はお忙しい中…
え”!ちょっとまってよ!!
立ち上がったけれど、今から入り口に向かうには真ん中を横切って行かなくちゃならない!
一瞬躊躇したけど、姉が手招きしてくれたことで意を決し、小走りに会場を横切って、語っている兄の横を通って兄の後ろへ控え。
まったくもー。^^;
その後各テーブルを一通り挨拶に回って、ようやく席に着きます。
お茶飲んで一息ついて、ここでの給仕は葬儀社の人が完全にやってくれるようだから大人しくお弁当食べてようかな〜なんて思いつつ、お弁当の包みを開けようとしたとき。
気の早い方がもう帰られるそうで、兄弟そろってお見送り!
そうしている間にバラバラと、次々と、皆さんお帰りで。
お弁当はお持ち帰りしました。^^;
全式典を終えて、程なく父の自宅に帰ります。
位牌をお仏壇に供えて完了…ではなく、一週間ほどは御膳をあつらえ添えるんだそうです、それは大変…なんて他人事ですが;
行政手続きや保険手続きなど、必要な段取りはまだ続きます。
初七日は一緒に済ませましたが、今度は三十九日法要です。
過去に…父の名前が入ったお酒を贈りました、その前に「ゴーマニズム宣言戦争論」を贈りました。
その感想を聞けなかったのはもちろん、その行方が分からないのが最大の心残りですね。
^^;
あ…そうか、今気が付きました。
来年の年賀状は辞退しないといけないのですね。
暮れに喪中の案内を出さないと…。
感謝します、ありがとうございます。
2011年02月27日
父の…1
病院の集中治療室へ運び込まれた父。
その後の経過は一進一退を繰り返し、予断を許さない状態が続いていました。
病院から生活拠点が一番近く、気持ちの上でも父といちばん近かったであろう姉、ほぼ毎日病院へ行ってくれていたようです。
そんな姉からの経過報告、「人工心臓が外されて、CCU(集中治療室)の向かいにある一般病棟へ移ったよ」。
13日日曜日の午前中に兄と待ち合わせて、兄は2回目?私は3回目?になる病院へ、バスで向かってお見舞いに行こうという段取り。
待ち合わせ場所に行ってみたら、数年ぶりになる姉の姿もありました。
とりあえず乾杯でも…って、駅ビル上階にある和食のお店に入って、再開を祝しビールで乾杯♪
お昼ご飯を頂いた後も、積もる話しは途切れません。
「また今度…温泉でも行って、みんなでゆっくりしたいね〜。」
???姉と姉の間には多少の確執がありそうな気がするんだけど…???
そんな諸々もみんな忘れてってことなのでしょうか。
とりあえず、今のココはのんびりほがらかな空気。
いいですね。^^v
今際の人が控えていようとも。^^;
姉も病院へ行くの?…って思いましたが、姉はここで帰る様子。
そうですね、私たちの父と姉に直接のご縁はありませんからね〜。
兄と二人、静岡駅から長距離バスへ乗車。
1時間弱のバス旅、兄は一眠り、私は読書。
その間に牧之原警察署入口到着、そこから徒歩十数分、榛原総合病院到着。
気道確保・人工呼吸器、複数の点滴、電気パルスを拾う心電図のコード。
人工心臓が外されたとはいえ、まだ物々しい雰囲気に包まれています。
胸郭は力強く上下していますが、それは人工呼吸器の力なのでしょう。
一般病棟に移されたことは、医師の所見がどちらであることを意味するのか…。
心電図モニターの波形の波は先日よりも弱く小さくなっているような気もしますが、人工心臓を外されたのならあり得ることなのでしょう。
意識が戻っていない状態では、やはり悲観的でしょうか。
父の横に立って、私は心の中で聞きました「どうしたいのですか?心残りがないのなら、私は感謝しつつ喜んで送ります。心残りがあるのなら、眠っている暇はないはずです。」
私が数週間に及ぶ意識不明から帰ってきているのを目の当たりにしていることもあって、姉としては希望を捨てきれないようです。
父の兄弟親族も大勢来てくれています。
心電図モニターの波形が少し大きく強くなってきたような気もしますが…、弱弱しいことに違いはありません。
入れ替わり立ち代わり、父に呼びかけますが何の反応もありません。
今回のことで新しく兄弟として認識された姉、兄と今後のことで話し合い。
葬儀・菩提寺・その後の生活環境、費用・連絡の必要な縁故知人・遺産財産…。
それぞれ本業が経営者と管理職ということもあってのことか、その会話は段取りが良くて、見ていて気持ちが良いです。^^
時刻は夕刻、病室に戻り兄弟親族の後ろから見守っていると、「呼びかけてあげて」って小母(オバ)が声をかけてくれました。
前に出てベッドサイドに立って手に手を合わせて、「父さん!」と呼びかけてみますが、どうにも気持ちが入りません。^^;
姉は「東京で仕事が決まったんだよ!なんで報告しようとした日に…。いつも反対していた父さんでも、今度こそ笑って送り出してよ!」。
兄も「父さん!」…迫真です。^^;
こんな時、本人は病室の片隅から家族を見下ろしていたりするのでしょう。
あちこちから視線を感じるような気もしますが、よくわかりません。
きょろきょろしてみますが、私の眼には白い壁がきれいに見えています。ww
本来なら、姉はこの翌日から東京での仕事が始まる手筈。
でも今回こういうことになって、勤務先への連絡と予約チケットのキャンセル手続が煩雑な様子。
姉の彼氏、その協力を得て何とかやっているようですが…。
諸々あってパニック状態に陥る寸前なのを、彼氏さんの存在のおかげで平静を保たれている。病院駐車場でマイカーに乗ってきて控えてくれている彼氏さん、それが姉のアンカーになっているのでしょうね。
そうして姉が席を外している間に、いよいよ心電図の波形が弱くなってきました。
心の中で「最期かな?どうもありがとう…南無…南無…」なんて思っていたら。
私から見て従兄弟?さんが「姉はどうした?呼んできて!」。
私「あ、はい!」
行こうとしたときに兄が「携帯持った?」
こんな時に携帯?なんて一瞬思いましたが、探しに行ってすぐに見つかるとは限らず、携帯で呼びかけたほうが確実ですね。
翻って携帯を持って、そうして早足で歩き始めた背中で聞きました、「ピー」って単調な機械音と親族兄弟の叫び声。
…心の中で「あー、看取ることはできない御縁だったんですね。それもまた由でしょう、ありがとうございました、では…。」
私はクライマックスを感じながら、その場を後にします。
姉を探しますが、ロビーにも待合にも時間外出入り口にも姿は見えず。
外に出たところで携帯の電源を入れて、姉へコール、ほどなく繋がり「たぶん最後だよ」。
彼氏さんの車に乗っていたのでしょう、ほどなく姿を見せた姉と一緒に小走りで病室へ戻ります。
戻ってみれば…気道挿管も電極も点滴もすべて外され、静かに眠るだけの父がいました。
気道挿管固定のテープでカブレたのでしょうか、頬の一部が不自然に赤いことが痛々しいです。
姉は「父さん!」と、泣いて父の遺体へ縋ります。
…茶々を入れるほど野暮じゃありませんが…
姉が以前の旦那や、彼氏に庇護を求めて、ココを留守にしているとき。
それをフォローしようとした私は貴重な機会を失ってしまう。
似たようなことは過去にもありました、…またか…って思わずにはいられません。
これもある種の腐れ縁ってものなのでしょうか。^^;
2011年2月13日18:35 父 永眠
看護師さんが死化粧を施してくれました。
顔色は暗くなりつつありましたが、ファンデーションとチークのおかげで眠っているようです。
そこで使ったリキッドファンデーションが私が持っているのと同じもの!
思わぬところで父とオソロです。^^;
…ここまで振り返って、疑問が一つ湧きました。
病院の外に出て姉に電話したのが…通話履歴から…19:00、病院の死亡診断が18:35。
私が「ピー」って機械音を聞きながら病室を後にして、外に出て携帯から電話するまで25分もかかるはずがない。
まぁ…18:35っていうのは便宜上で、心停止は18:50分くらいで、意識の停止は数日前で、脳機能の停止は…。
死亡診断の時刻というのは、医師の腹時計みたいなもの…と言っちゃうのは極論でしょうが。
とすると?
誕生時刻というのも結構いい加減なものだったりするのでしょうか???
生きるものの都合は終わりません。
兄が中心になってくれたおかげで、必要な連絡先から葬儀手筈に至るまで、ガイドラインを兄が・必要な手続きや連絡を姉や姉が進めてくれて。
私は追随していればOK、なんて幸せ者なんでしょう。^^;
季節柄なんでしょうか…斎場がイッパイな様子、今予約しても一週間後なんだって。
日曜日のに亡くなったので、週半ばの御通夜〜葬儀かな…なんて思ったんだけど、世間はそれどころじゃないらしい。
一週間…遺体を安置しておかなくてはならない。冬場で良かったよね、ドライアイスを抱かせるにしても、夏場で一週間はきつかったでしょう。
内々の家族葬にして、父が活動していた団体や会社関係の献花などはすべてお断りしよう、それでも…と言ってくださる弔問だけお受けしよう。
方針決定。
必要な手筈・段取り…だいたい確認し終えて、兄とmoyaは一旦日常に戻って、姉と姉が色々奔走してくれました。
moyaも職場で上司に
「父が亡くなりました、弔問はもちろん…献花などもお断りして、内々の家族葬を執り行う予定です。お心遣い無いようお願いいたします。」なんて伝えましたが…。
翌土曜日、父の葬儀。
会場に入ってみれば、兄の会社の社長名・副社長名・組合長名、姉の会社の社長名、それぞれ献花が一基づつ。
あれぇ〜?moyaだけ親不孝?^^;
先ずは御通夜。
メイクの甲斐あって、父の見た目は変わりありません。
でも…髪の生え際やメイクしていない部分、浅黒くなってきているようです。
通夜〜告別式=土日と時間を空けて、喪服を着て臨みましたが。
簡易民宿のような葬儀会社の施設に泊まれることは知りませんでした!
御通夜の式を終えて、長い夜に向けてアルコールや夜食・翌日の朝食を買出しに行こう…という時に率先して同行。
着替えなど、慌てて買い揃えてきました。
コンビニじゃ割高だけど、割高でもある程度揃えることができるコンビニ。こんな時は有難いですね。^^;
御通夜って、お線香を絶やさないってことが仕事なのだけど、今どきは渦巻き状になって何時間も絶えることがないお線香があるんですね。
重宝なものです。
…姉は眠れずに明け方まで父の近くにいたそうですが…。
葬儀当日
前日に買い込んだもので、父を脇目に皆で朝食。
食欲がない・のどを通らないという人もなく、皆それなりに。
その後の経過は一進一退を繰り返し、予断を許さない状態が続いていました。
病院から生活拠点が一番近く、気持ちの上でも父といちばん近かったであろう姉、ほぼ毎日病院へ行ってくれていたようです。
そんな姉からの経過報告、「人工心臓が外されて、CCU(集中治療室)の向かいにある一般病棟へ移ったよ」。
13日日曜日の午前中に兄と待ち合わせて、兄は2回目?私は3回目?になる病院へ、バスで向かってお見舞いに行こうという段取り。
待ち合わせ場所に行ってみたら、数年ぶりになる姉の姿もありました。
とりあえず乾杯でも…って、駅ビル上階にある和食のお店に入って、再開を祝しビールで乾杯♪
お昼ご飯を頂いた後も、積もる話しは途切れません。
「また今度…温泉でも行って、みんなでゆっくりしたいね〜。」
???姉と姉の間には多少の確執がありそうな気がするんだけど…???
そんな諸々もみんな忘れてってことなのでしょうか。
とりあえず、今のココはのんびりほがらかな空気。
いいですね。^^v
今際の人が控えていようとも。^^;
姉も病院へ行くの?…って思いましたが、姉はここで帰る様子。
そうですね、私たちの父と姉に直接のご縁はありませんからね〜。
兄と二人、静岡駅から長距離バスへ乗車。
1時間弱のバス旅、兄は一眠り、私は読書。
その間に牧之原警察署入口到着、そこから徒歩十数分、榛原総合病院到着。
気道確保・人工呼吸器、複数の点滴、電気パルスを拾う心電図のコード。
人工心臓が外されたとはいえ、まだ物々しい雰囲気に包まれています。
胸郭は力強く上下していますが、それは人工呼吸器の力なのでしょう。
一般病棟に移されたことは、医師の所見がどちらであることを意味するのか…。
心電図モニターの波形の波は先日よりも弱く小さくなっているような気もしますが、人工心臓を外されたのならあり得ることなのでしょう。
意識が戻っていない状態では、やはり悲観的でしょうか。
父の横に立って、私は心の中で聞きました「どうしたいのですか?心残りがないのなら、私は感謝しつつ喜んで送ります。心残りがあるのなら、眠っている暇はないはずです。」
私が数週間に及ぶ意識不明から帰ってきているのを目の当たりにしていることもあって、姉としては希望を捨てきれないようです。
父の兄弟親族も大勢来てくれています。
心電図モニターの波形が少し大きく強くなってきたような気もしますが…、弱弱しいことに違いはありません。
入れ替わり立ち代わり、父に呼びかけますが何の反応もありません。
今回のことで新しく兄弟として認識された姉、兄と今後のことで話し合い。
葬儀・菩提寺・その後の生活環境、費用・連絡の必要な縁故知人・遺産財産…。
それぞれ本業が経営者と管理職ということもあってのことか、その会話は段取りが良くて、見ていて気持ちが良いです。^^
時刻は夕刻、病室に戻り兄弟親族の後ろから見守っていると、「呼びかけてあげて」って小母(オバ)が声をかけてくれました。
前に出てベッドサイドに立って手に手を合わせて、「父さん!」と呼びかけてみますが、どうにも気持ちが入りません。^^;
姉は「東京で仕事が決まったんだよ!なんで報告しようとした日に…。いつも反対していた父さんでも、今度こそ笑って送り出してよ!」。
兄も「父さん!」…迫真です。^^;
こんな時、本人は病室の片隅から家族を見下ろしていたりするのでしょう。
あちこちから視線を感じるような気もしますが、よくわかりません。
きょろきょろしてみますが、私の眼には白い壁がきれいに見えています。ww
本来なら、姉はこの翌日から東京での仕事が始まる手筈。
でも今回こういうことになって、勤務先への連絡と予約チケットのキャンセル手続が煩雑な様子。
姉の彼氏、その協力を得て何とかやっているようですが…。
諸々あってパニック状態に陥る寸前なのを、彼氏さんの存在のおかげで平静を保たれている。病院駐車場でマイカーに乗ってきて控えてくれている彼氏さん、それが姉のアンカーになっているのでしょうね。
そうして姉が席を外している間に、いよいよ心電図の波形が弱くなってきました。
心の中で「最期かな?どうもありがとう…南無…南無…」なんて思っていたら。
私から見て従兄弟?さんが「姉はどうした?呼んできて!」。
私「あ、はい!」
行こうとしたときに兄が「携帯持った?」
こんな時に携帯?なんて一瞬思いましたが、探しに行ってすぐに見つかるとは限らず、携帯で呼びかけたほうが確実ですね。
翻って携帯を持って、そうして早足で歩き始めた背中で聞きました、「ピー」って単調な機械音と親族兄弟の叫び声。
…心の中で「あー、看取ることはできない御縁だったんですね。それもまた由でしょう、ありがとうございました、では…。」
私はクライマックスを感じながら、その場を後にします。
姉を探しますが、ロビーにも待合にも時間外出入り口にも姿は見えず。
外に出たところで携帯の電源を入れて、姉へコール、ほどなく繋がり「たぶん最後だよ」。
彼氏さんの車に乗っていたのでしょう、ほどなく姿を見せた姉と一緒に小走りで病室へ戻ります。
戻ってみれば…気道挿管も電極も点滴もすべて外され、静かに眠るだけの父がいました。
気道挿管固定のテープでカブレたのでしょうか、頬の一部が不自然に赤いことが痛々しいです。
姉は「父さん!」と、泣いて父の遺体へ縋ります。
…茶々を入れるほど野暮じゃありませんが…
姉が以前の旦那や、彼氏に庇護を求めて、ココを留守にしているとき。
それをフォローしようとした私は貴重な機会を失ってしまう。
似たようなことは過去にもありました、…またか…って思わずにはいられません。
これもある種の腐れ縁ってものなのでしょうか。^^;
2011年2月13日18:35 父 永眠
看護師さんが死化粧を施してくれました。
顔色は暗くなりつつありましたが、ファンデーションとチークのおかげで眠っているようです。
そこで使ったリキッドファンデーションが私が持っているのと同じもの!
思わぬところで父とオソロです。^^;
…ここまで振り返って、疑問が一つ湧きました。
病院の外に出て姉に電話したのが…通話履歴から…19:00、病院の死亡診断が18:35。
私が「ピー」って機械音を聞きながら病室を後にして、外に出て携帯から電話するまで25分もかかるはずがない。
まぁ…18:35っていうのは便宜上で、心停止は18:50分くらいで、意識の停止は数日前で、脳機能の停止は…。
死亡診断の時刻というのは、医師の腹時計みたいなもの…と言っちゃうのは極論でしょうが。
とすると?
誕生時刻というのも結構いい加減なものだったりするのでしょうか???
生きるものの都合は終わりません。
兄が中心になってくれたおかげで、必要な連絡先から葬儀手筈に至るまで、ガイドラインを兄が・必要な手続きや連絡を姉や姉が進めてくれて。
私は追随していればOK、なんて幸せ者なんでしょう。^^;
季節柄なんでしょうか…斎場がイッパイな様子、今予約しても一週間後なんだって。
日曜日のに亡くなったので、週半ばの御通夜〜葬儀かな…なんて思ったんだけど、世間はそれどころじゃないらしい。
一週間…遺体を安置しておかなくてはならない。冬場で良かったよね、ドライアイスを抱かせるにしても、夏場で一週間はきつかったでしょう。
内々の家族葬にして、父が活動していた団体や会社関係の献花などはすべてお断りしよう、それでも…と言ってくださる弔問だけお受けしよう。
方針決定。
必要な手筈・段取り…だいたい確認し終えて、兄とmoyaは一旦日常に戻って、姉と姉が色々奔走してくれました。
moyaも職場で上司に
「父が亡くなりました、弔問はもちろん…献花などもお断りして、内々の家族葬を執り行う予定です。お心遣い無いようお願いいたします。」なんて伝えましたが…。
翌土曜日、父の葬儀。
会場に入ってみれば、兄の会社の社長名・副社長名・組合長名、姉の会社の社長名、それぞれ献花が一基づつ。
あれぇ〜?moyaだけ親不孝?^^;
先ずは御通夜。
メイクの甲斐あって、父の見た目は変わりありません。
でも…髪の生え際やメイクしていない部分、浅黒くなってきているようです。
通夜〜告別式=土日と時間を空けて、喪服を着て臨みましたが。
簡易民宿のような葬儀会社の施設に泊まれることは知りませんでした!
御通夜の式を終えて、長い夜に向けてアルコールや夜食・翌日の朝食を買出しに行こう…という時に率先して同行。
着替えなど、慌てて買い揃えてきました。
コンビニじゃ割高だけど、割高でもある程度揃えることができるコンビニ。こんな時は有難いですね。^^;
御通夜って、お線香を絶やさないってことが仕事なのだけど、今どきは渦巻き状になって何時間も絶えることがないお線香があるんですね。
重宝なものです。
…姉は眠れずに明け方まで父の近くにいたそうですが…。
葬儀当日
前日に買い込んだもので、父を脇目に皆で朝食。
食欲がない・のどを通らないという人もなく、皆それなりに。
花粉症発症T0T


昨年は何事もなく、本当に平和な日々を送ることができて、「もしかして治っちゃった?♪」なんて思っていましたが。
そんなに都合よくはなかったようです。
先の火曜日くらいから、目の痒さや鼻のむず痒さを感じ始めて。
木・金くらいに、ついに来ました、くしゃみ連発。T0T
ただ…一昨年とちょっと違うのは、くしゃみ連発も…目を開ける間がないほどの連発じゃなくて、一回一回の間にマがあること。
それでも連発には違いないんですけどね。^^;
でも大丈夫!
今の私はクスリを買う余裕がある!!
月曜日に買ってこーよぉ♪
感謝します、ありがとうございます。

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髪切って、献血行って


昨日の26日土曜日、朝起きて最初に洗濯を済ませて。
三か月ぶりの美容院へ♪
縮毛矯正かけ直してもらって、襟足やウシロは少し短く・少しすいてすっきりと、他は切り揃えるくらい。
天使の輪が復活♪♪♪
ショートボブまでもう少し。^^v
その後、献血に行ってきました。
今回は113/61-79
午後一に行ったのですが、相変わらず午後は混んでますね。xx;
やっぱり献血は午前中に行ったほうがいいかな。
順番待ちをしているときに二人、血圧とか体重とか…不適格で断られてました。
当然のように毎月献血していますが、献血できることもありがたいことなのです。
感謝します、ありがとうございます。

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プリウスターボ??
通りがかりに、プリウスを見かけることが多くなりました。
なんちゃってエコロジーバブルは膨張中のようです。
そんな中、先日見かけたプリウスはサイドに大きく「TURBO」とデザインされていました。
デザインはきれいにまとまっていたので、「プリウスにターボ車設定なんてあったの?」
「ターボの性格ってハイブリッド車に向かないでしょうに???」
帰ってから調べてみても、プリウスにタ−ボ車の設定はやっぱり無いようです。
「TURBO」って語感につられただけのステッカーチューン・ドレスアップですね。
中身のない、正にエコバブル、ここに極まれり!
バブルは、バブルと認識されたころに弾けることが多いようです。
もうそろそろかな?
まぁだかな??
’’?
感謝します、ありがとうございます。


CMS搭載の車両・中古車検索システム「サーチプラスfor車両」
なんちゃってエコロジーバブルは膨張中のようです。
そんな中、先日見かけたプリウスはサイドに大きく「TURBO」とデザインされていました。
デザインはきれいにまとまっていたので、「プリウスにターボ車設定なんてあったの?」
「ターボの性格ってハイブリッド車に向かないでしょうに???」
帰ってから調べてみても、プリウスにタ−ボ車の設定はやっぱり無いようです。
「TURBO」って語感につられただけのステッカーチューン・ドレスアップですね。
中身のない、正にエコバブル、ここに極まれり!
バブルは、バブルと認識されたころに弾けることが多いようです。
もうそろそろかな?
まぁだかな??
’’?
感謝します、ありがとうございます。

CMS搭載の車両・中古車検索システム「サーチプラスfor車両」

2011年02月12日
手紙と写真と過去と違和感
社内での雑談の中で…
「彼・彼女に持っていてもらっていやなもの。以前の彼・彼女の写真と、以前の彼・彼女との手紙。どっちのほうがイヤ?」
はてそれは…どっちかな、一般的に言えば、どっちも同率くらいで有り得るんじゃないかな。
なんて思いつつ、明確に私に向けられた質問ではなかったので、私はただ笑ってその場にいました。
私個人に向けられた質問だったなら…きっと「どっちもイヤじゃない。」と言ったでしょう。
「答えになってない!」なんて言われそうですね。
^^;
そもそも、質問そのものに違和感を感じます。
そもそもそれは彼・彼女の過去であって、勲章のようなものでしょう、むしろ自信を持って・持っていてほしいと思います。
彼・彼女がそれを捨てると言ったなら、それなりに心境の変化・踏ん切りがついたのでしょう、それを私は祝福したいと思います。
好きな人が、以前に好きだった人。
今好きなその人を形作っている経験・過去・足跡に他なりません。
それを否定しようなど、子供じみた独占欲のような気がしてしまいます
人を好きになるって、そんな諸々全部を含めた話しだと思うのですが。
一般的にはそうじゃないようです。
過去を否定するのと、過去を受け入れること。
果たしてどちらが前向きなんでしょう?www
正解があることではありませんが、一般的意識と私の意識の間にある違和感の一つですね。
感謝します、ありがとうございます。
「彼・彼女に持っていてもらっていやなもの。以前の彼・彼女の写真と、以前の彼・彼女との手紙。どっちのほうがイヤ?」
はてそれは…どっちかな、一般的に言えば、どっちも同率くらいで有り得るんじゃないかな。
なんて思いつつ、明確に私に向けられた質問ではなかったので、私はただ笑ってその場にいました。
私個人に向けられた質問だったなら…きっと「どっちもイヤじゃない。」と言ったでしょう。
「答えになってない!」なんて言われそうですね。
^^;
そもそも、質問そのものに違和感を感じます。
そもそもそれは彼・彼女の過去であって、勲章のようなものでしょう、むしろ自信を持って・持っていてほしいと思います。
彼・彼女がそれを捨てると言ったなら、それなりに心境の変化・踏ん切りがついたのでしょう、それを私は祝福したいと思います。
好きな人が、以前に好きだった人。
今好きなその人を形作っている経験・過去・足跡に他なりません。
それを否定しようなど、子供じみた独占欲のような気がしてしまいます
人を好きになるって、そんな諸々全部を含めた話しだと思うのですが。
一般的にはそうじゃないようです。
過去を否定するのと、過去を受け入れること。
果たしてどちらが前向きなんでしょう?www
正解があることではありませんが、一般的意識と私の意識の間にある違和感の一つですね。
感謝します、ありがとうございます。
MeltingPotのランチ
先日、母とランチに行ってきました。
通りすがりに気になっていたお店、「MeltingPot」。
開いて置かれていたメニューの一番最初に「今日のランチ・オムライス」、パラパラと一通りメニューを見たけれど…気を惹かれるものがないので「今日のランチ・オムライス」二人分注文。
デミグラスソースとトマトケチャップソース、二種類から選べるとのことでしたが、二つともデミグラスソースで注文。
母の分は小さ目にお願いします・私の分はその分大きめにお願いします。^^;
セットドリンクは食後に、母はキャラメルマキアート、私はホットコーヒーで。
店内を見回してみると…昭和時代のサブカルチャー、バブルに入って浮足立つ前の、「陽気にはしゃいでいたあの頃」って雰囲気。
40人くらいは入れるでしょうか・・・。
先客は一組、タイを締めた男性と制服を着た女性二人の三人組。
先ずサラダが来て、少し間を開けてオムライスが来ました♪

チキンライスの上に半熟に焼き上げた卵をかぶせて、デミグラスソースを流して完成。
今どきの喫茶・お食事メニューでは定番ですね、既に目新しさや感動は薄れてしまっています
それでもまぁ…文句があるはずもなく、おいしくいただきました。^人^
そうしている間に先客の三人は帰ります、入り口から出て、お店の裏手のほうへ歩いていくのがウィンドの向こうに見えます。
女性の制服は…よく見れば事務服のようです、きっと近くの職場の方々なのでしょうね。
食後に注文したマキアート、特に凝ったものではなく…格子模様が描かれているだけでしたが、母は十分に目新しく喜んでいるようでした。
その間に次のお客さん、中年男女の二人組。
繁盛してせわしない店内だと、ゆっくり食事を楽しむこともできませんが、静かな店内はありがたいですね。
お店としては大変なことなのでしょうが。^^;
帰りしなに「店内黒板に描かれたランチメニューにサンドイッチ」とあるのを発見!
ちぇっ…、またのお楽しみですね…。^^;
でも…飲食店の店名に「Meltingpot」って…、気持ちはわからないではないけれど、きれいな印象ではないですよね。
^^;;
感謝します、ありがとうございます。
通りすがりに気になっていたお店、「MeltingPot」。
開いて置かれていたメニューの一番最初に「今日のランチ・オムライス」、パラパラと一通りメニューを見たけれど…気を惹かれるものがないので「今日のランチ・オムライス」二人分注文。
デミグラスソースとトマトケチャップソース、二種類から選べるとのことでしたが、二つともデミグラスソースで注文。
母の分は小さ目にお願いします・私の分はその分大きめにお願いします。^^;
セットドリンクは食後に、母はキャラメルマキアート、私はホットコーヒーで。
店内を見回してみると…昭和時代のサブカルチャー、バブルに入って浮足立つ前の、「陽気にはしゃいでいたあの頃」って雰囲気。
40人くらいは入れるでしょうか・・・。
先客は一組、タイを締めた男性と制服を着た女性二人の三人組。
先ずサラダが来て、少し間を開けてオムライスが来ました♪

チキンライスの上に半熟に焼き上げた卵をかぶせて、デミグラスソースを流して完成。
今どきの喫茶・お食事メニューでは定番ですね、既に目新しさや感動は薄れてしまっています
それでもまぁ…文句があるはずもなく、おいしくいただきました。^人^
そうしている間に先客の三人は帰ります、入り口から出て、お店の裏手のほうへ歩いていくのがウィンドの向こうに見えます。
女性の制服は…よく見れば事務服のようです、きっと近くの職場の方々なのでしょうね。
食後に注文したマキアート、特に凝ったものではなく…格子模様が描かれているだけでしたが、母は十分に目新しく喜んでいるようでした。
その間に次のお客さん、中年男女の二人組。
繁盛してせわしない店内だと、ゆっくり食事を楽しむこともできませんが、静かな店内はありがたいですね。
お店としては大変なことなのでしょうが。^^;
帰りしなに「店内黒板に描かれたランチメニューにサンドイッチ」とあるのを発見!
ちぇっ…、またのお楽しみですね…。^^;
でも…飲食店の店名に「Meltingpot」って…、気持ちはわからないではないけれど、きれいな印象ではないですよね。
^^;;
感謝します、ありがとうございます。
2011年02月06日
NEW-PC
ムービー動画を仕上げて、DVDに落とそうとしたのだけど、PCがDVDを認識しない。
普段DVDを使っていなかったけど、以前は少なくとも再生はできたのに、認識しなくなったら再生もできない。
メーカーのページからドライバを再インストールしても変わらずで、DVDドライブだけ完調になれば…って思って、K電器へ持ち込みメーカー修理見積依頼。
受け付けてくれた人が「電源入れてもいいですか?」
「はい、もちろん」
…
「こんな画面出てました?」
「え???」
画面を見てみれば、初めて見る文字列が画面に並んでて、何かをカウントしてる。
げ;
持ってくる時の振動でハードディスクに何か問題が???
なんにしても、こうなっては尚更手におえないし、FUJITSUさんよろしくお願いします♪
…サブ・バックアップPC持ってないから、また近いうち・そのうちに…なんて思っていたら、買う前にメイン機が機嫌を損ねました;
この機会に…って、「同等・もしくはそれ以上のスペックを持ったノートPC、なにか見繕ってもらえますか」
店頭で新品を選んで買うなんて初めてです!
何を隠そう。^^;
そして勧められたなかで目に止まったのが、同じFUJITSUのLIFEBOOK AH700/5B。
国内メーカーであればどこでもよかったけど、春のニューモデル前の値引き販売で、FUJITSUが一番値引き率がいいみたい。
そのCPUがCOREi5でOSが7、メモリが4G、HDが600G。
今までのがUDUOのVISTAの2Gだったから、正常進化かな?
色は赤を選びました。
もうこっちがメイン機になるね。^^;
あ!そういえば完成した動画データってバックアップしてなかったよね?!
ガーン!(川Д川)
失意に包まれながら新PCをセットアップ、環境構築完了。
USBメモリ差し込んで、開いてみたら最初のムービーデータのフォルダがそこにありました!
…そういえば…やっぱこういうのって最初にバックアップしておかなくちゃでしょー…って、ビデオカメラからデータを移して一番最初にUSBへコピーしたんだっけ!!
すっかり忘れてました。^^;
動画データが無事に戻ってくるかまだ分からないけど、最初のムービーデータがあったことで一安心。
バックアップは大事ですね。^^v
あ…メールデータとアドレス、バックアップしてない…。xx;
感謝します、ありがとうございます。
普段DVDを使っていなかったけど、以前は少なくとも再生はできたのに、認識しなくなったら再生もできない。
メーカーのページからドライバを再インストールしても変わらずで、DVDドライブだけ完調になれば…って思って、K電器へ持ち込みメーカー修理見積依頼。
受け付けてくれた人が「電源入れてもいいですか?」
「はい、もちろん」
…
「こんな画面出てました?」
「え???」
画面を見てみれば、初めて見る文字列が画面に並んでて、何かをカウントしてる。
げ;
持ってくる時の振動でハードディスクに何か問題が???
なんにしても、こうなっては尚更手におえないし、FUJITSUさんよろしくお願いします♪
…サブ・バックアップPC持ってないから、また近いうち・そのうちに…なんて思っていたら、買う前にメイン機が機嫌を損ねました;
この機会に…って、「同等・もしくはそれ以上のスペックを持ったノートPC、なにか見繕ってもらえますか」
店頭で新品を選んで買うなんて初めてです!
何を隠そう。^^;
そして勧められたなかで目に止まったのが、同じFUJITSUのLIFEBOOK AH700/5B。
国内メーカーであればどこでもよかったけど、春のニューモデル前の値引き販売で、FUJITSUが一番値引き率がいいみたい。
そのCPUがCOREi5でOSが7、メモリが4G、HDが600G。
今までのがUDUOのVISTAの2Gだったから、正常進化かな?
色は赤を選びました。
もうこっちがメイン機になるね。^^;
あ!そういえば完成した動画データってバックアップしてなかったよね?!
ガーン!(川Д川)
失意に包まれながら新PCをセットアップ、環境構築完了。
USBメモリ差し込んで、開いてみたら最初のムービーデータのフォルダがそこにありました!
…そういえば…やっぱこういうのって最初にバックアップしておかなくちゃでしょー…って、ビデオカメラからデータを移して一番最初にUSBへコピーしたんだっけ!!
すっかり忘れてました。^^;
動画データが無事に戻ってくるかまだ分からないけど、最初のムービーデータがあったことで一安心。
バックアップは大事ですね。^^v
あ…メールデータとアドレス、バックアップしてない…。xx;
感謝します、ありがとうございます。
父が倒れ
四日金曜日に、父が倒れたとの一報が入りました。
昨日の土曜日、病院へお見舞いに、M姉と一緒に行ってきました。
意識は全くなく、気道挿管と人工心臓で繋いでいる状態。
肌の色つやは良く見えますが、お正月前後に会った時と明らかに肉付きが違います。広い範囲が浮腫(むく)んでいるようです。
倒れた正確な日時を私は知りませんが、これで二・三日はこの状態なのでしょう。
失った意識を取り戻す。意識を失っている時間が長いほど、意識を取り戻す確率は下がっていきます。
それは単純な確率論に過ぎませんが、単純な確率だからこそ、その数字を軽く扱うことはできません。
一か月ほども意識を失ったことのある私が言うのもなんなのですが…。^^;
おそらく…心情的にも現実的にも、今の父との距離が三兄弟の中で一番近かったM姉。
仕事都合の引っ越しを数日後に控えた忙しい身でも「これる限りは病院へ、毎日来たいと思ってる。」。
父が家を出て別に世帯を作ったことで縁遠くなりましたが、父母が別れても親子の縁が切れるわけじゃない。
(我が家に居場所のなかった当時の父、心情は察するに余りあります)
祖母・母・私と「脳疾患」を受け継いできています(私は“外傷性”なので一緒にはできないのかもしれませんが?)、今回の父は心疾患。
縁で受け継がれるものなのか否か、私は知りませんが、「ふーん…」って意味なく納得した私でした。
母と私は往生際悪く戻ってきましたが、果たして父は…?
昨年父に「○○○○(父の氏名)の酒」というお酒を贈ったこと、お礼にもらった電話で嬉しそうな声を聴けたこと。
…まだ…これが最後と決まったわけではありませんが、回復できてもお酒は当分飲めないことでしょう、間に合ったことが何より。
感謝します、ありがとうございます。


《プロアクト》HIV、性病など秘密厳守で血液検査
昨日の土曜日、病院へお見舞いに、M姉と一緒に行ってきました。
意識は全くなく、気道挿管と人工心臓で繋いでいる状態。
肌の色つやは良く見えますが、お正月前後に会った時と明らかに肉付きが違います。広い範囲が浮腫(むく)んでいるようです。
倒れた正確な日時を私は知りませんが、これで二・三日はこの状態なのでしょう。
失った意識を取り戻す。意識を失っている時間が長いほど、意識を取り戻す確率は下がっていきます。
それは単純な確率論に過ぎませんが、単純な確率だからこそ、その数字を軽く扱うことはできません。
一か月ほども意識を失ったことのある私が言うのもなんなのですが…。^^;
おそらく…心情的にも現実的にも、今の父との距離が三兄弟の中で一番近かったM姉。
仕事都合の引っ越しを数日後に控えた忙しい身でも「これる限りは病院へ、毎日来たいと思ってる。」。
父が家を出て別に世帯を作ったことで縁遠くなりましたが、父母が別れても親子の縁が切れるわけじゃない。
(我が家に居場所のなかった当時の父、心情は察するに余りあります)
祖母・母・私と「脳疾患」を受け継いできています(私は“外傷性”なので一緒にはできないのかもしれませんが?)、今回の父は心疾患。
縁で受け継がれるものなのか否か、私は知りませんが、「ふーん…」って意味なく納得した私でした。
母と私は往生際悪く戻ってきましたが、果たして父は…?
昨年父に「○○○○(父の氏名)の酒」というお酒を贈ったこと、お礼にもらった電話で嬉しそうな声を聴けたこと。
…まだ…これが最後と決まったわけではありませんが、回復できてもお酒は当分飲めないことでしょう、間に合ったことが何より。
感謝します、ありがとうございます。

《プロアクト》HIV、性病など秘密厳守で血液検査

回っていない回転寿司
先日、母と回転寿司のお店に行きました。
母が自転車に乗ってくれないので、回転寿司をエサに、母を自転車に乗せて連れ出そうって魂胆。
普通の自転車ペースなら二十分も走れば着く距離だと思うのですが、見守り…おだて励ましながら一時間半ほどかかってようやく着いた回転寿司。
母が「懐かしいねぇ…」
「え?」
話してみれば…そういえば以前母が車を運転していたころ、母がそのお店をよく利用しているのを聞いたことがあるのを思い出しました、母の友人のFさん…通称「あんちゃん」のお宅もお店の近所でしたね。
私が助手席に乗って、連れてきてもらったこともありましたね。
お店に入ってみたら、お寿司が回ってない!!
思った以上に時間がかかったこともあって、お店に着いたのはランチタイムと言われる時間を過ぎた時刻、先客は二組だけ。
お寿司が回っていないので、注文の都度…板前さんに声かけて握ってもらい、握ってもらった寿司をコンベア越しに受け取ります。
回転寿司の魅力の一つは「回っているたくさんの種類のお寿司の中から自由に好きなものを選び取れる」こともあると思うのですが、残念ながらそこにそれはありませんでした。
というと、そこのお店の魅力は全皿一皿百円で食べられるという価格設定?
まぁ…それだけでも魅力としては十分なことではあるのですが、たくさん並んだお寿司の中から好きなものを…っていうものに慣れてしまった消費者としては物足りなさを感じてしまいますね。
…もちろんそのほうが「ロスになるお寿司が少ない=食材を無駄にすることを最小限に抑えられる」とか、利益率向上とエコロジーの両立という相反しがちな目標が重なる稀有な部分なのかもしれません。
お寿司が回っていない回転寿司店に魅力を感じなくなったお客さんは、たくさんのお寿司が回っているお客さんの多い回転寿司に行くようになり、繁盛店と閑散店の差はさらに…。
さてそこで、一消費者である私はどちらのお店を選択しましょうか…。
^^;
感謝します、ありがとうございます。


dデリバリー
母が自転車に乗ってくれないので、回転寿司をエサに、母を自転車に乗せて連れ出そうって魂胆。
普通の自転車ペースなら二十分も走れば着く距離だと思うのですが、見守り…おだて励ましながら一時間半ほどかかってようやく着いた回転寿司。
母が「懐かしいねぇ…」
「え?」
話してみれば…そういえば以前母が車を運転していたころ、母がそのお店をよく利用しているのを聞いたことがあるのを思い出しました、母の友人のFさん…通称「あんちゃん」のお宅もお店の近所でしたね。
私が助手席に乗って、連れてきてもらったこともありましたね。
お店に入ってみたら、お寿司が回ってない!!
思った以上に時間がかかったこともあって、お店に着いたのはランチタイムと言われる時間を過ぎた時刻、先客は二組だけ。
お寿司が回っていないので、注文の都度…板前さんに声かけて握ってもらい、握ってもらった寿司をコンベア越しに受け取ります。
回転寿司の魅力の一つは「回っているたくさんの種類のお寿司の中から自由に好きなものを選び取れる」こともあると思うのですが、残念ながらそこにそれはありませんでした。
というと、そこのお店の魅力は全皿一皿百円で食べられるという価格設定?
まぁ…それだけでも魅力としては十分なことではあるのですが、たくさん並んだお寿司の中から好きなものを…っていうものに慣れてしまった消費者としては物足りなさを感じてしまいますね。
…もちろんそのほうが「ロスになるお寿司が少ない=食材を無駄にすることを最小限に抑えられる」とか、利益率向上とエコロジーの両立という相反しがちな目標が重なる稀有な部分なのかもしれません。
お寿司が回っていない回転寿司店に魅力を感じなくなったお客さんは、たくさんのお寿司が回っているお客さんの多い回転寿司に行くようになり、繁盛店と閑散店の差はさらに…。
さてそこで、一消費者である私はどちらのお店を選択しましょうか…。
^^;
感謝します、ありがとうございます。

dデリバリー

2011年02月03日
ランドセル騒動
伊達直人=漫画タイガーマスクの主人公名義で、ランドセルが施設に送られたことが話題になりました。
最近ではマスクを贈った伊達直人も現れたようです。
その好意・善意は素晴らしいことと思うのですが…。
ふと、子供のころの記憶が蘇りました。
初めてランドセルをこの手に渡された、その時に私が考えていたこと。
…決してランドセルが欲しいわけでなければ、ランドセルをもらって嬉しいわけもない。
周囲の大人がさも嬉しいことのように「ほらランドセルだよ!」と言ってくれるので、これは嬉しいことなんだと学習し、喜んで見せているに過ぎない。
確か〜母の友人から贈っていただいたランドセル。
まったく余計な恩着せがましいことを…。
無ければないで…何かの鞄を代用にすればいいのだから、高いランドセルを頂く意味が分からない。
子供心にランドセルへの思い入れなんてない、それなら新しいおもちゃのほうが嬉しいに決まってる。
小学校へ入学することへの灌漑なんてあるわけないし、小学校新入学児童の初々しさがわかるはずもない。
新車・新しい服・新しい本・新しい音楽…目新しい何か、新品を手に入れるという喜び=物欲も、子供がそれに飢えているはずもない。
子供にランドセルを贈る、それは大人の・この社会の形式・儀式めいたもの。
周りを喜ばせるためにランドセルを貰い・そのランドセルを背負う、子供が背負うには無駄に大きく・固く・重い、そして中身は空っぽ。
誰一人、異を唱えることもない。
なんて形骸化したモノなんでしょう。…
…今思えば…ここまで明文化する能力はありませんでしたが、周囲の人間の心情・背景を子供心にそんなふうに感じ取っていました。
そんなふうにスレて考えるのは私だけで、世間一般の意識は素直にランドセルを喜んでいるのでしょうが。
児童福祉施設のランドセルというのも、普段通りなら公費で調達するか・できなくても何かしらの鞄を用意することでしょう。
そこへランドセルが贈られる。
それは、何よりも公費を助けているのに過ぎないのではないでしょうか。
そしてランドセルメーカーの売り上げ貢献と、社会へ明るい話題の提供。
なんだか…「ランドセルを贈る=恵まれない子供たちへ救いの手を差し伸べたい」という、おそらく趣旨であろうことからどんどんずれてしまいます。
大人の独りよがりな自己満足であっても美談は美談、子供が無邪気に喜んでいればそれでいい。
…ということなのでしょうか。
本当に子供のためを思って考えてくれている人、どのくらいいるのでしょうね。
なんですかねぇ…。
お釈迦様の手の上の孫悟空を思ってしまいました。
感謝します、ありがとうございます。
最近ではマスクを贈った伊達直人も現れたようです。
その好意・善意は素晴らしいことと思うのですが…。
ふと、子供のころの記憶が蘇りました。
初めてランドセルをこの手に渡された、その時に私が考えていたこと。
…決してランドセルが欲しいわけでなければ、ランドセルをもらって嬉しいわけもない。
周囲の大人がさも嬉しいことのように「ほらランドセルだよ!」と言ってくれるので、これは嬉しいことなんだと学習し、喜んで見せているに過ぎない。
確か〜母の友人から贈っていただいたランドセル。
まったく余計な恩着せがましいことを…。
無ければないで…何かの鞄を代用にすればいいのだから、高いランドセルを頂く意味が分からない。
子供心にランドセルへの思い入れなんてない、それなら新しいおもちゃのほうが嬉しいに決まってる。
小学校へ入学することへの灌漑なんてあるわけないし、小学校新入学児童の初々しさがわかるはずもない。
新車・新しい服・新しい本・新しい音楽…目新しい何か、新品を手に入れるという喜び=物欲も、子供がそれに飢えているはずもない。
子供にランドセルを贈る、それは大人の・この社会の形式・儀式めいたもの。
周りを喜ばせるためにランドセルを貰い・そのランドセルを背負う、子供が背負うには無駄に大きく・固く・重い、そして中身は空っぽ。
誰一人、異を唱えることもない。
なんて形骸化したモノなんでしょう。…
…今思えば…ここまで明文化する能力はありませんでしたが、周囲の人間の心情・背景を子供心にそんなふうに感じ取っていました。
そんなふうにスレて考えるのは私だけで、世間一般の意識は素直にランドセルを喜んでいるのでしょうが。
児童福祉施設のランドセルというのも、普段通りなら公費で調達するか・できなくても何かしらの鞄を用意することでしょう。
そこへランドセルが贈られる。
それは、何よりも公費を助けているのに過ぎないのではないでしょうか。
そしてランドセルメーカーの売り上げ貢献と、社会へ明るい話題の提供。
なんだか…「ランドセルを贈る=恵まれない子供たちへ救いの手を差し伸べたい」という、おそらく趣旨であろうことからどんどんずれてしまいます。
大人の独りよがりな自己満足であっても美談は美談、子供が無邪気に喜んでいればそれでいい。
…ということなのでしょうか。
本当に子供のためを思って考えてくれている人、どのくらいいるのでしょうね。
なんですかねぇ…。
お釈迦様の手の上の孫悟空を思ってしまいました。
感謝します、ありがとうございます。