オヤジっぽくなったり男の子っぽくなったり女の子っぽくなったりおばちゃんぽくなったり…してる。
囚われがなく抵抗が無い、その時々の私にとって自然な語り口を思い綴っているこのブログ。
もしここで特定の人格に固定させたら、同時に視点も固定されてしまうような気がしてる。
…と、日本語で綴っているってことは…現代日本的な視点に囚われていることでもあるんだ…。
今の私のアタマでは日本語以外理解不能、なので日本的囚われは甘んじて受け入れることにして。^^;
私のようなこんな得体が知れない…性別不肖・年齢不詳なキャラクターには仲間のような共感を得れる筈が無い、もし共感を持ったとしても次の機会には裏切られることが…おそらく…多いだろうことから。
各個の人格・各個の個性があることはもちろん喜ばしいこと、必要な事。
違いが解ればそれだけでいい、違うからって相手を否定する根拠になるはずが無い。
でもどういうわけか人は同じような仲間・同類を感じる人と一緒にいたがるものらしい、同じような仲間・同類ではないと感じる否定材料には常に敏感だよね。
同種かそうでないかを感じる力…本能としては必要な能力なのだろうけど、そこへ更に顕在意識でガードを張り巡らす必要は無い気がしているよ。
